日本語教授法のクラスのゲスト講師として、「日本語教育におけるテクノロジー利用」について話しました。 といっても、大学院生が3人の小さいクラスで、カジュアルな感じでした。こういう場で「講師」として話すのは初めてだったので緊張しましたが、日本語で話すことができたので救われました。英語だったら...死んでいたことでしょう。テクノロジーとは何か、学習にどういう効果をもたらすのかといった話の後、実例を見せました。
受講生である大学院生にコンピューターを使った日本語教育の例をあげてもらったところ、コンピューター相手に反復練習をするという、いわゆる「ドリル」の例をあげていました。私にとってコンピューターは「コミュニケーション媒体」の面が強いんですが、コンピューターを利用した日本語教育を知らない人には、コンピューターは「何も文句言わず同じことを繰り返ししてくれる機械」として見られているのかなあと思いました。
それから、受講生から「いくらテクノロジーがいいと言っても、時と場合によるのでは?例えば情報が簡単に手に入る環境にあるなら、テクノロジーを使わなくてもいいはずだ」、「情報が手に入りやすい環境と入りにくい環境を比較して、テクノロジーの利点を述べるのは不適切では?」という意見が出ました。確かにそうです。テクノロジーを使わなくてもいいなら使わなくてもいいんです。紙とえんぴつでできるのなら、紙とえんぴつでやればいいのです。テクノロジーを使うためにテクノロジーを使った教育をするというのは本末転倒です。しかし、たとえ図書館で日本の新聞が読めても読める種類が1種類だけだったら、数種類読めるインターネットを利用したほうがいいのではないか、と思うのです(アメリカの大学の図書館はなぜか朝日新聞が多いです。偏ってるな〜と思うんですが)。手紙でもいいでしょうが、メールやブログならお金も時間も節約できます。また、今の情報化社会でとめどなく提供される情報を評価し、取捨選択する能力は非常に重要だと思います。日本語教育にコンピューター、インターネットを取り入れることで、日本語だけではなく情報処理能力を養うことも可能なのではないでしょうか。
2 comments:
テクノロジーはどうしても、先に来がちというかこのテクノロジーがあるから、どう使おうかになってしまいがちですよねー。でもどんなテクノロジーがあるかしらないと、何ができるかというアイディアも浮かびにくいとおもうので、自転車の両輪のようにどちらも必要な気もします。
>ヒロシさん
そうなんですよね。「こういうテクノロジーがあるから使ってみようかな」と思って使って、初めて「どういうふうに使ったら効果的か」という方向に考えが向かっていく場合が多いですよね。
教師が「こういうことがしたいんだけど」と教育目的や効果を伝えたら、テクの人が「じゃ、こういうのはどう?」って勧めてくれるとありがたいんですけどねー。教師だけで全部カバーするのは大変...。
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