Tuesday, March 06, 2007

難しいなあ...

今日の2年生の授業でポッドキャストの反省会というか、次回に向けてどうしたらよくなるかを学生とほんの少しだけ話し合いました(本当は時間をとるつもりだったんですが、『電車男』を見てしまい...)。このポッドキャストでやりたいことは4つあるんですが(学生も読んでいるみたいなので、あまり詳しく書きません...)、それを全部やるのは難しいというのが、今日の話し合いの感想です。

学生に気づいてもらいたいことがあるんです。私が言ってしまえば、ものの30秒ですむことです。でもそれを学生に自分で見つけてもらいたい。どうすればいいんだろうか。試行錯誤の毎日です。このプロジェクトは非常に面白いんですが、援助者として、私はどういうふうにすればいいのか、いろいろ考えます。

でも一方で、私が学生に気づいてもらいたいと思っていることは、もしかしたら学生は気づいているのかもしれないけれど、大したことだとは思っていないのかもしれません。まだまだポッドキャストの作り手、情報の発信者としての自覚がないのかなあ。学生はまだ最初の一歩を踏み出したところなので、焦ってはいけないのかもしれません。ことばを使うこと、伝えたいことを確かに伝えるにはどうしたらいいのか、いろいろ考えて成長していってほしい。私もそれを援助しながら、教師として成長したいなあ。

4 comments:

sato said...

難しいよね、、、焦らずにしっかり学生と向き合ってみたら(なんかのだめみたいだね〜)。

問題発見解決学習の難しいことは誰に取っての問題かってことだよね、、、

yukki said...

>satoさん
そう、難しいんですわ。昨日話し合ってみて少し前進したかな、とも思うんで、おっしゃる通り気長に向き合います。問題は問題だと思う人にとっては問題であって、そう思わなければ問題ではないと思う今日この頃。

harimaya said...

異なる文化背景を持った人たちと働いていた時、いつも感じていたジレンマは、自分が問題だと思っていることは、果たして彼らにとっても問題なのだろうか、でした。
すごくショックだったことは、自分の知っている範囲の狭い枠組みで考えていた時は非常に問題だと思っていたことが、より広い枠組みが見えるようになった後、その枠組みで考えたら、実はそれはそれ程問題ではないことが分かり、穴があれば入りたいような状況に陥ったことでした。
お互いが「これは問題である」と共通認識を作り上げるまでに、ものすごく時間がかかり、それが一旦共通認識化されてしまうと、案外解決は共通認識構築より容易かったりしました。

語学教育の場合、”問題”はある程度普遍的なのかも知れませんが、satoさんの言われるように”焦らずに向き合う”でしょうか。

こんなに学生さん達のことを思っている先生にぜひぜひエールを送りたくて、門外漢ですが、コメントを書かせていただきました。

yukki said...

>harimayaさん
コメントをありがとうございます!全然門外漢なんかじゃないですよ〜。それこそ、語学教師しか語学教育が語れないんだったら、視野が狭くなってとんでもないことになってしまいます。バンバンコメントしてください!

harimayaさんがおっしゃるように、共通認識が持てたら、あとは簡単なんでしょうね。私と学生はまだそこに到達していませんが、気長に向き合うことにします。手を変え、品を変え、学生に私の考えを伝えていきたいと思います。