Campus Technologyという雑誌のオンライン版で、ちょっと面白い記事を見つけました。
Middlebury Bans Wikipedia as Academic Source
バーモント州にある名門大学・ミドルベリー大学が、誰でもテキストを書き込んだり編集できたりするウィキを使ったオンライン百科事典を大学のコースのレポートに使用することを禁止したということですね。レポートにウィキペディアを使う学生がよっぽど多いということでしょうか。
ミドルベリー大学の学生新聞の論説では、これを検閲の始まりだと避難しています。「誰でも改変できる百科事典は民主的だがそれは危険だ」、「いつでも書き換えられるので、資料として定まらない」という教授に対して、「民主的なのが危険なのか?学問とは固定的なものなのか?」と反論しています。
私は特に論説の後者の意見に賛成です。知識が固定してしまったら、それこそ学者の仕事はなくなってしまいます。提唱された理論や意見について批判的に考え、議論をかわし、人間が持つ知識を広げていくのが学者の仕事です。そのプロセスである学術研究はいつも動的であるべきではないでしょうか。
そしてもっと大切なのは、学生がウィキペディア以外にもあふれる情報を批判的に分析し、選択していく力、いわゆる「メディアリタラシー」を養うのが大学の使命の1つではと思います。ある意味、ウィキペディアは情報の取捨選択のトレーニングの道具として使えるんではないかと思うのですが、どうでしょうか。
5 comments:
僕は、ウィキペティアも大切なレポートと宿題で使わないほうがいいと思っています。自分の知識を増えるためにいいものですが、レポートをする時、何とかまじめでわありません。例えば、面白い物を知りたいとき、ウィキを使えばかまえません。
ううん、私は別にwikiでも、論文でも同じだと思います。ただ、wikiには誰が書いたのか分からないと言う無責任ではありますけど、書いた人がはっきりすればもっといいんでしょうけどね
>ロキさん
確かにウィキペディアはあまり信じられないソースでしょうね。便利ですが、ロキさんが言うように何のために使うか考えて、使い分けをしなければいけないでしょう。
>satozaさん
匿名であるがゆえに自由に書き込める一方で、自分が提供した情報に責任を持たなくてもいいというのは、私も問題だと思います。そういう点も批判的に検証できる力をつけるって大切だと思いませんか?何でもかんでもとにかく禁止すればいいという(酒、タバコのCMや暴力シーンなど)のが安直だと思うんですけど...。
ウィキはいきのいいものなので、進行中なので、選び取るのが難しいところもあるかもしれませんが、そのなんというか集合知というか、みんなが参加できて、限られた専門家が権威をもって支配するのはちょっと違うと言う点で民主的だと思います。意図的に悪質な書き換えがなされてりするものもあるようですが、そういうふうに狙われてりするものがあったりなかったりするのもおもしろいですね。でもレポートに使用するのは、Web2.0とかそういう分野のならいいのかもしれませんが、やっぱりまだソースがはっきりしているようで、はっきりしていない(satozaさんのいうように誰が書いたかわからん)ので、よくないんでしょうね。
>hiroshiさん
ソースがはっきりしていないというのは理解できるんですが、禁止するのってどうかな〜と思います。正確ではない情報を引用したという理由で点数を下げるだけじゃだめなんですかね。
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