Sunday, October 18, 2009

しゃかか3:日本人ゲスト&ブログへのコメント

遅くなりましたが、しゃかかプロジェクトの続報?です。

先日、日本人大学生2名をゲストに迎え、各グループが自分たちのプロジェクトについてゲストに説明したり、トピックについて話し合うという活動を行いました。何も知らない相手にきちんと理解してもらえるのか、彼らの疑問に答えられるのか、そして学生のほうからゲストに質問を投げかけ、意見交換ができるのか...というのが、学生の挑戦でした。

1グループ20分と短い時間でしたが、学生は一生懸命話していました。私が質問してもだらだら答えるだけなのに(笑)。お膳立てされたクラス内活動とはいえ、他者(ゲスト)に自分たちの考えを知ってもらおうとする意欲がものすごくよく見えました。ゲストの質問にもしっかり答えていて、学生たちが頼もしく見えました。

この活動のあと、各クループでプロジェクトを発表するためのポッドキャストのアウトラインをブログにポストしてもらい、クラスメート以外の人3人からコメントをもらってくるようにと指示を出しました。たいていのコメントは各グループのトピックに関する意見や感想などが書かれていましたが、1つだけ毛色が違うコメントがありました。それは...
  • 英語で書かれている
  • ポスト中の文法のあやまりを直している
の2点です。このポストを見たとき、私が参加している出版プロジェクトでNさんが書いた論文を思い出しました。その論文では、ブログという一見コミュニケーション主体で、例えば教室のような教師が学習者を「統治」することがなさそうなメディアにおいて、いかに「統治」が立ち現れているかというものを分析したものです(Nさん、説明が間違ってたらすみません...)。この論文のおかげで、このコメントを見逃すことができませんでした。「なんでここで英語で書くのか?文法を直すのか?他の人はどちらもやっていないのに。これはどういう意味だろう?」と。どこでも、何があっても「学習者」というのは直されなければならないのか?「日本語の使い手」としてみんなが同じ立ち位置に立つことはできないのか?どうやってこの状態を変えることができるだろうか?

で、クラスで短い時間でしたが、ちょっと話し合いを持ちました。学生にはコメント6つ全部プリントアウトしたものを配って読んでもらい、何か気がついた点を言ってもらいました。ある学生が例のコメントが英語で書いてあることに気づいて、「この人はランゲージパートナー?」と質問しました。そう思う理由を聞いたら「英語も日本語も上手だから」と。すると他の学生が「upper caseを使っていないからアメリカ人」と返答。それに対して「このコメントは日本人っぽい。文法を直しているから」という学生も出てきました。この文法を直すという点について意見を聞くと、「このプロジェクトは内容が大切だから、文法はど直さなくてもいい」という意見がある一方で、「正しくないから直す」という意見もありました。

そこから「直す人、直される人」の話になり、「ホストファミリーが会話の最中に直してくれる。それはありがたい。上手になりたいから」「自分が他の人を直さないのは、自分の日本語が完璧じゃないから」「先生、他の日本人、先輩、一番上のクラスの学生...というヒエラルキーがあって、その上のほうの人たちが直す」という意見も出ました。直されるということに関してはあまり問題に思っていないようですが(「完璧じゃないから仕方ない」とか「日本語
を使う人のヒエラルキーがある」など)、このブログのコメントに対してはちょっとどうかな、と思った学生もいたようです(「トピックが大切なのに」「アウトラインだからラフでいい」など)。

ここで時間切れになったので、学生に何でもいいから考えたことを書いてくるように言いました。それをもとに、もう1度(学生はしつこいって思うでしょうねえ)話し合いの時間を持ちたいと思います。今度はもっとつっこんで、「この状態を変えるには、どうしたらいいか?」という点について、いろいろ意見を出してもらうつもりです。でも、学生の意見を見ると、「しょうがない」というあきらめが結構強いみたいですけれど...(直されて当たり前って洗脳されてる?)

1 comment:

履歴書の見本 said...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。