先日、学生のコース評価を受け取りました。いやー、今までになく辛辣でした。新しいことをするってことは、大変なことなんだと実感。新しいことというのは、
- 地域参加型プロジェクト:留学プログラムの殻を打ち破って実社会で通じるコミュニケーション能力を養う目的で、学生に興味がある分野に関連した活動を地域の中でしてもらう。(例えば、映画専攻の学生は、映画関連の博物館でボランティアをする、ラテンダンスに興味がある学生は、ラテンダンスのサークルに入るなど)
- ブロック制:これまで担任制を取っていたのですが、講師の長所(例えば文学鑑賞の指導ができる、テクノロジーを使った活動ができるなど)を活かした授業をして、学生により充実したカリキュラムを提供しようという試み。最初と最後の3週間は担任が授業をして、残りは1週間ずつ講師がローテーションする。
次の「ブロック制」については、先生がコロコロ変わって混乱したというのが主な批判。担任がカリキュラムを組んでその週に教える講師と相談して授業を行っていたのですが、学生には担任という頼れる存在が消えてしまったというふうに映ったようです。一応毎週2時間は担任が入っていたのですが、それだけでは不足だったようで...。他のコメントも読んで思ったんですが、今回の学生って甘えん坊が多かったのかな。「高いお金(学費)を払っているんだから、サービス(教育)を受けて当たり前」っていう感覚なのでしょうか。もちろんできることはしますよ、こっちだってプロですから。でも、正直、「先生なんていりません」ぐらいの勢いでいてほしいなあ。
それから、私がやった授業は不評でしたねえ。あるクラスで漫画や雑誌の文字使いを分析するユニットと、4コマ漫画を使って物語を説明する(ナラティブ)という授業をそれぞれ1週間ずつやったんですが、「二度と文字と漫画は見たくない」ってコメントがありました。実は私もやっている間「同じネタで引っ張り過ぎかなあ」と思わないでもなかったんですが、「ええい、ままよ」と押し切ってしまいました。ちょっと時間かけすぎたかなあ、と反省。
あと、ポッドキャスト(過去作品はここで見られます)。「ビデオ編集が大変で、日本語の勉強にはならなかった」という意見が多かったです。前任校ではあんまりこういう意見は聞かれなかったので、なんでかなあと考えたんですが、もしかしたら、授業以外で日本語を使うことがなかった前任校の学生は、技術面の煩雑さよりも日本語で自己表現できる喜びのほうが大きかったのかな、と。今は一応日本語で生きている状況なので、そういう自己表現の場も多いから、これまでの枠組みの(とにかく好きなトピックで作る)ポッドキャストはただただ面倒くさいだけだったのかもしれません。次はどうしようかなあと思案中なんですが、仏様のクラスでやった「しゃかかプロジェクト」が参考になりそうです。地域参加型プロジェクトと合わせて、もうちょっと学生の目を外に向けて、学生に社会と関わってもらうような形にしようかなと。アイデアがある方、ぜひコメントをお願いします。
4 comments:
いやあ、一杯飲みながらゆっくり話したいですねー。5月末に帰るんでいろいろ聞かせてください。
>さとうさん
私はウーロンでお願いします(笑)。じっくり話したいねえ。でも東京はいや。
Yukkiさん、今学期もおつかれさまでした。私いつも思うんですけどね、アメリカの普段の学期より夏のintensiveの学生評価は辛辣ですよね、当たり前のことなんですけど。Yukkiさんが教えているような日本の機関って通年で夏のコースが走ってるようなものなのではないか、と...学生の要求も高いし、アメリカと勝手も違うだろうし、教えるの大変そうですね。またお話ししたいですー。
>Hanaさん
今回厳しかったのは、いろいろ新しいことを詰め込みすぎちゃったことが原因かもしれません。あと、学生の過度の期待とか、お遊び気分とか。完璧はないですから、辛辣なコメントにも心が折れないようして、がんばります!
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