昨日、2年生の試験がありました。結果は...あんまりよくなかったです。
今学期は通常カバーする内容に加え、ブログ、個人目標、そしてポスター発表という3つのプロジェクトをしているのですが、試験の結果を見て、やりすぎなんだろうか...と不安になりました。
試験には一応「最近カバーした2〜3課」という範囲があるですが、もちろん既習事項も入っていますし、細かいところをついてくる問題もあります。そして学生にとっては、すぐに数字として結果が目に見える試験は非常に重要なようで、昨日もかなり心配している学生もいました。
問題は翻訳なんですよね...。折にふれ、英文を見せて日本語にするという練習はやっているつもりなんですが、やはり状況を設定してコミュニケーションする練習が主。ああ、もっと練習する時間を持てばよかったと、今さらながら反省です。学生に申し訳ない。でもね...試験のために翻訳の練習ってやっぱり抵抗があるなあ。
最近、評価について考えています。筆記試験は学生の日本語力をきちんと評価しているんだろうか?試験がかなりの比重を占める「学校の成績」って何なんだろう?
ハワード・ガードナーのmultiple intelligences理論では、人間にはいわゆる「知能テスト」で重視される認知面での知能以外にも、言語や空間、対人関係などに関わるさまざまな知能があると言われています。だから、知能テストで知能が低いという結果が出たとしても、それだけで知能が低いとは言えないという考えです。言語学習だっていろんな側面がありますよね?それを筆記試験を中心に測るってどうかなあ...。
でも学生にとっては「試験=成績」なわけで、一番大切でしょう。理想と現実のバランス。う〜ん...うなるばかりです。
4 comments:
あるプログラムの中で一講師として評価い携わる場合限界がありますね。いつか学科長やもっと大きいことができるポジションにつかなければできないこともありますね。
そのためには評価についてもっと勉強しなければ,,,と思う今日この頃です。
>さとうさん
あなたなら上に立てる!期待してます。私にはその才能があるかどうか...(才能の前に人身術?)。
私も評価については、ここ最近考えていました。私の場合は、自分の評価の仕方に対して、これでいいのかな、とかもっと初歩的なことではあるのですが・・・。この評価で間違っていないのか、とか、私の主観が先行していないかとか・・・。
私のクラスの試験は結果は数字で出しますが、その数字をつけるのは私。状況を設定してコミュニケーション力をはかるような問題を試験にも多く出しているしか、客観性を考えてしまいます・・・。
>satoさん
初歩的なことと言いますが、大切なことやないですか。主観的に成績つけちゃってる自分にはっと気がつくときがあります。客観性って何なんでしょうね。数字は客観的に見えますが、採点するのが人間である以上、究極的なところ、無理ちゃうかなと思ったり...。悩みはつきませんね。
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